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デカルトの自然の数量化と機械論的自然観

合理論

フランスのデカルト(René Decartes, 1596〜1650)は大陸合理論の祖とされ、経験は有限で限られた不完全なものであり、先天的な良識(bon sens)(理性)に基いて明晰に判明することのみが真の知識であると考え、帰納法を退け、演繹法を推奨した。この立場を合理論と呼び、後にオランダのスピノザ(Baruch de Spinoza, 1632-77)、ドイツのライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)らに継承され、大陸合理論として大成する。

神が完全であることによって、先天的に与えられた知性は宇宙を合理的に解釈できるはずであり、アリストテレス自然学で退けられた数学の利用が、その明証性によって積極的に推奨された。ここに、中世科学革命を推進した、自然の数量化が積極的に擁護される。

延長即物質説と機械論的自然観

また、デカルトにおいては、実体を神と精神と物体に分けた。物体の主要な属性は延長(extensio)、精神の主要な属性は思惟(cogitatio)にあって、逆に云えば延長がを有していれば物体なのである。この延長即物質説に基いて、空間と物質は区別されず空虚は形容矛盾と否定され、宇宙はエーテルで充満し、その渦動によって天体の運動は説明される。また、その無際限性が積極的に主張された。

現象は、押しや衝突などの接触作用によって力学的に説明されなければならず、太陽と惑星の直接的な遠隔作用を云うのは、オカルト的(隠れた)性質や生気論などの形而上学に舞い戻る反動的なものだとして退けられた。

円運動に関しては、それを接線方向の等速運動と、法線方向の加速度運動に分解して考えた。このことによって、ヨハネス・ケプラーによって提示された天体の運動の法則と、ガリレオ・ガリレイによって提示された地上の運動を統一する視座を提示できた。

デカルトは更に進んで、慣性運動を等速度直線運動に帰し、その変化は外部からの作用を必要とし、衝突前後で運動量は保存すると主張する。但し、かれの運動の保存とは、今日で云う運動量の大きさの保存であって、方向は考慮されておらず間違っていた。

物質の本性は一義的に延長に帰せられるから、内在する形相を目的とした目的論的自然観は退けられ、宇宙は至る所で一様、均質でユークリッド幾何学に従うべきであり、アリストテレスやコペルニクスが説くような階層的なコスモスは退けられる。自然は接触(運動の原因としての衝突)と不可浸透性に基いて、あたかも機械であるかのように理性で理解出来るものとする自然観を提示した。これを、機械論的自然観と呼ぶ。

ニュートン力学に至る道

デカルトの教義は、実証不可能であったり、可能な場合も間違っていることも多かった。しかし、統一性や単純性と云う点で、ニュートンのそれに取って代わられるまでは、支配的な自然哲学であり続けたし、自然の力学的解明、少数の原理からの数学的操作による諸法則の演繹と云う計画は、後々まで支配的に君臨した。

デカルトは、ガリレイでは不完全に内包されていた運動量や力学的エネルギーに具体的な形を与えた。これらは多くが誤っていたり、不充分であったが、同時代フランス科学アカデミー有給会員であったホイヘンス(Christian Huygens, 1629-1695)によって修正され、完成された。

ホイヘンスは、デカルトの二体衝突の問題に対して、正しい運動量保存則を導き、振り子の問題から、位置エネルギーと運動エネルギーの保存則を導いた。

事ここに至り、物理学は数学を用いた精密な専門科学になり、力学は素人や哲学者には理解し難い領域に進み始めた。


力学的自然観の崩壊

あとはニュートン(Isaac Newton, 1642-1727)が登場し、古典力学を大成。その成功によって力学的自然観に従った自然の数学的記述が完備されていく。全ての自然現象は力学的に説明されるべきであるとする考え方は研究活動を強力に牽引し、その崩壊は、十九世紀末に集中する。事実、 1900 年頃はその暗雲を払おうとする努力と、なにか新しいものの模索とが相克し、その中から、プランクの量子論、アインシュタインの相対論が発表される。


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SUGAI, Manabu.
13th/Mar./2000
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