Last update: 17th/Feb.2000
中山 茂 訳 みすず書房、1971.
The Structure of Scientific Revolutions (second edition, 1970)の邦訳。事実上 Kuhn の magna opus。 詳しくは『科学革命の構造』まとめを参照ください。
中山 茂・我孫子 誠也 他訳 みすず書房
The Essential Tension -Selected Studies in Scientific Tradition and Change の邦訳。自伝的序文、 I. 科学史論集、 II. 科学哲学論集。「本質的緊張」はII.に収められている。 paradigm が危機的状態にある時、研究室に張詰める緊張は、科学に内在する本質的なものだとする。「 科学革命の構造 」に先立った論文のリプリント。「 〜構造 」の巻き起こしたPopper派との議論の後に出版されており、いろいろな意味で「 〜構造 」を補完する。
常石 敬一 訳 紀伊国屋書店、講談社学術文庫
Kuhnの処女作であるCopernican Revolution -Planetary Astronomy in the Development of Western Thoughtの邦訳
冒頭抜粋;
科学概念は観念であり、其の意味では思想史の主題でもある。……コペルニクス革命は、其の多様性故に、数多くの異なる分野の諸概念が単一の思想の織物に織り上げられて行くありさま、及び其の影響を見るための絶好の機会を提供している。
フリードリッヒ フント 著 井上 健・山崎 和夫 訳 吉岡書店
1978 Geschichte der physikalischen Begriffe(物理概念の歴史)の邦訳。 "フントの規則"に名を残す物性理論、場の量子論の大家の手による本格的な物理学史。骨太の大著。
古代ギリシア以来の物理概念が近現代に至るまで、丹念に紹介されている。「思想としての物理学」は言い過ぎだが、安易な一直線の英雄列伝ではなく、アリストテレス運動論、スコラ学派のインペトゥス理論やデカルトの渦動説、各時代ごとの支配的見解と対立する学派との議論などもフォローされており、折々の世界史的情勢(もちろん今で云う"ヨーロッパ"に限られる)にも触れられている。この種の本にしては数式が多めで、高校程度の微積分の初等的知識は必要か。数式は飛ばして「お話」だけでも気分は汲み取れると思う。
……物理学者としては、今日の物理学をより良く理解したい。現代物理学についてどこまでがそれが扱う事柄即ち客観的な自然の出来事によって規定され、どこまでが歴史的に条件付けられているか。物理学者としてわれわれは、少なくともわれわれの学問の最も新しい歴史から次の事を知っている。すなわち、重要かつ根本的な認識は、それが生み出される際に徹底的に議論されるだけであって、それ以降においてはそれらは多かれ少なかれ、信じ込まされるかあるいは自明のこととして手軽に利用されるものなのである。
……そのような考え方がかって提起したそれをよしとする根拠、それをめぐる疑念や困難の数々はもはや議論されることはない。その結果、物理学の基礎を成す諸概念もまた、もはや完全には理解されないことになる。確かに物理学を研究するものは誰でも非常に深刻なジレンマに直面する。彼の望みは物理学を“理解すること”でありまた物理学の“扱い方”を習得することであろうし、おそらくさらにそれをより発展させたいと思うであろう。すべてを理解することを求めると、それを使いこなすまでには到底至るまい。第2の道に甘んずるのなら……彼が取り扱っている事柄を総体として理解することにはなるまい。こうして科学的研究は常に人間としての可能性の境界線をめぐって営まれていくものであり、人は自身しか責任を負えない妥協を個人的に求めていかねばならないのである。
古代の著者たちとの対決が進む中に、14世紀になって数学的な物理学を準備するような思想が現れた。……この世紀の研究者たちは、ある意味で“ガリレイの先駆者”であった。彼らは、本質的には、ある一定の哲学的傾向に与していた。“唯名論(-ノミナリスムス)”と呼ばれたものがそれで、今やそれは(アリストテレスから出発するとした)トマス主義者たちの運動、(プラトン及び教父たちが強調した)スコトゥス主義者たちの運動という二つの運動にとって替わるものであった。
都市、商取引、金銭といった面での上昇気運とアラビア思想の浸透と共に、批判的な合理主義と現世への評価が起こってきた。しかし差し当たって、精神的生活の担い手は依然として聖職者たち、特に、フランシスコ派と、ドミニコ派の人々であった。彼らにとって重要であったのは、信仰あるいは神学あるいは世俗的な学問のいずれなのか。神あるいは学問的な好奇心のいずれなのか。
一般概念である普遍という概念は、ある真のおそらく形而上学的な存在性を持つものなのかどうか、それともそれは思考がそれを用いて事物を秩序付ける名前にすぎないとすべきもなのかどうか、という点をめぐって“普遍概念論争”が行われた。……世界の理解は数学をも含めて原理によって可能であるべきものか、つまり、それはプラトンとアリストテレスとの間にはっきり見て取れる緊張関係なのである。13世紀には“実在論”と“唯名論”の間に一種の調停が成立していた。しかし、14世紀になると、フランシスコ派のオッカムのウィリアム(William of Occam)の代表する余りにも先鋭化された唯名論が現れた。……彼にとっては一般的な概念なるものは1つの号令、1つの想念、1つの符号(-レッテル)であった。彼にとっては存在するものは、もっぱら個別の事物であって、一般概念は理論上の意味しか持たないものであった。……
……その運動はパリへ飛び火した。パリの唯名論学派に属したのは、ジャン・ビュリダン(Jean Buridan, 1300年頃〜1360年)であった。彼は自らを神学者というよりもむしろ哲学者と任じており、インペトゥース(勢い)論を更新することによって力学を前進させた。
より近現代的な話題は、量子論の歴史 山崎和夫 訳 講談社に譲る。
19 Jnu. 1998 ―> 23 June, 1998アインシュタイン、インフェルト 共著 石原 純 訳 岩波新書
力学的世界観から、その崩壊、相対論、量子論建設まで。予備知識は一切要求されない。数学的、あるいは物理的思考自体要求されない。力学的世界観の獲得からその崩壊までが白眉。古典物理学が廃棄されなければならなかった事情が良く分かろう。
朝永 振一郎 著 岩波新書
湯川と並び称される日本のノーベル賞物理学者による物理学史。近代科学の形成、即ちケプラーから、熱統計物理学建設前夜、気体の分子運動論まで。撚素説は如何に危機に直面したか、熱と温度の分離が既存のparadigmに如何に抵抗を受けたか、その抵抗をいかにして克服したか。引用文が膨大で、彼の博識ぶりは剋目に値う。講演に加筆修正した" 科学と文明 "収録。
高木 貞治 著 岩波文庫
「解析入門 岩波書店」の高木の手による数学史。主に解析学の発展をガウスからとき起こす。冒頭の格調高い雰囲気に酔っていると突如かなりの分量の数式が現れギョッとなるがここを越えれば数学はほとんど出てこない。解説は東大の杉浦光夫。
1796年3月30日の朝、十九歳の青年ガウスが目覚めて臥床から起き出でようとする刹那に正十七角形の作図法に思い付いた。この記念すべき出来事が「ガウス日記」の第一項として次のように記されている。......
アーベル(Niels Herik ABEL , 1802-29)は1802年8月5日にノルウェーの首都クリスチャニア(今のオスロ)に近いFinnoというところで貧しい牧師の家に生まれて、貧乏と結核とに蹙められた短い生涯の間に、数学史上無類とも言うべき花々しい業績を遺して、1829年4月6日に世を去った。フランスが火元になった政治上の動乱は余波を僻遠なるスカンジナビヤ半島にまでも及ぼして、彼の父を窮迫に陥れたのであったが、アーベルは幸いにして乏しい給費に由って中学から大学までの過程をふむことを得た。当時アーベルが如何に窮乏なる生活をしていたかは、大学の寄宿舎で、特に許可を得て、弟を寝床に同宿せしめていた事に由っても想像される。......
踵を返して彼の後を追うものがヤコービの他にもあったことをアーベルは知らずに終わった。それはガロア(Evariste GALOIS , 1811-1832)である。 ガロアは1811年10月25日パリに近いBourg-la-Reineに生まれた。十七歳の頃、中学(College Louis-la-Grand)在学中、既に方程式論に於いて重要なる発見をしたらしい。工芸大学の入学試験に二回失敗した後1829年に師範大学に入ったが、翌年退学を命ぜられた。その後彼は政治上の運動に没頭して、歿年には数月をSt. Pelageの獄舎に送ったが、1932年5月31日決闘の為に斃れた。享年21才である。......
森 毅 著 講談社学術文庫
京大の一刀斎こと森毅。同文庫に収められている彼の他の著作同様、本書もどこからでも読める構成。古さが目に付くが数学的視座からの西洋史という趣。講談社学術文庫は、みすず書房にならんで、科学思想的な作品が多数収録されている。
廣松 渉 著 紀伊国屋書店
もとは紀伊国屋新書。現代物理学の提示している認識論的諸課題を露呈せしむる試み。「世界の共同主観的存在構造 講談社学術文庫」で展開した認識論的地平の下部構造。
尚、著者の文章は常々晦渋の評を賜っている事情に鑑み、不遜にも憚らず、対話に仮託して論述を進めてみた。
当時流行っていたのか、弁証法を意識したのか。いずれにせよ訳解らなさが増している。冒頭で認識論の不毛を告白している。
村上 陽一郎 編著 中公新書
既存の科学論・科学哲学について手っ取り早く知ろうと思うならば、これを御奨めする 。
但し、著者は文系の方が多く、自然科学・数学に付いての理解は少々覚束なさが目立つ。特に編著者・村上陽一郎は歴史的な事以外は余り分かっていない様子。
……一方において、波動関数に対する基礎的なシュレーディンガー方程式があり、それはニュートンの運動方程式と同じく時間的に可逆で決定論的である。他方においては、不可逆性と波動関数の崩壊とを伴う測定過程(引用者注;選択的測定)が存在する。その二重構造こそ、フォン・ノイマンの有名な著書『 量子力学の数学的基礎 』における主張の基礎を成すものであった。この状況は実際奇妙である。なぜなら、この場合、時間的に可逆で決定論的な基礎的シュレーディンガー方程式の他に、波動関数の崩壊あるいは収縮を伴う第二の動力学的法則が存在する、ということになるからだ。これまで誰も量子論のこれら二つの法則の間の関連性を導いた者はいないし、誰も波動関数の収縮についての実在論的な解釈を与えた者はいない。これがまさに量子論のパラドックスなのである。
……我々のアプローチは、量子力学の二重構造を取り除き、したがって量子論のパラドックスを解決するものである。我々が得たのは、量子論についての実在論的な解釈である。というのも、波動関数から統計集団への移行は今やポアンカレ共鳴からの帰結として理解され得るからであり、しかも、「観測者」の摩訶不思議な介入とか、その他の制御不能な仮説の援用などは何ら必要としないからである。……
我々のアプローチは実在論への回帰に対応しているが、それは決して決定論への回帰を意味するものではない。それどころか、古典物理学の決定論的描像からはさらに遠ざかるものである。我々はカール・ポパーの次のような主張に同意する。すなわち、「私の見解では、非決定論は実在論と両立するものであり、この事実を受け入れることによって、量子論全体に付いての首尾一貫した客観的認識論、及び確率の客観主義的解釈の採用が可能となるのである」。そこで我々としては、次のようなポパーの所謂「形而上学的夢想」を物理学の領域内へと持ち込みたいと望むものである。すなわち、「この世界は、たとえそれを実験にかけそれと干渉する『観測主体』が存在しなかったとしても、おそらく、今あるのと同じように非決定論的なままであったろう」。
非平衡系の物理学の大家 Ilya Prigogine は非平衡系熱力学の散逸構造の研究により、1977年ノーベル化学賞を受賞。熱力学に独自の伝統を持つブリュッセル学派の専門的研究成果を背景とした啓蒙書。
ニュートン力学は、神秘的な遠隔作用を根本的に排除しようという思想の下(万有引力を除く)、解析的に表現されており、微積分学の基本法則を適応することによって決定論的な宇宙論を提示する。この決定論的自然観から人間の自由意思を救出する試みは、現代思想が西洋合理主義を超克する試みの流れの中で確かに一隅を画するものであった。
一方、物理学の方では量子力学のコペンハーゲン解釈(=確率解釈)によって幾分事情が変わったものの、その基本方程式は時間変数微分方程式; Schrödinger Eq.であり、決定論的性質という観点からすればニュートンの運動方程式; Newton's equation of motion と何ら変わらない。
その第三法則によって非可逆的過程を扱う熱力学に対して、量子力学はそのmicroscopicな基礎を定量的には与え得ないできた。この乖離を埋めるために、観測問題、人間原理的宇宙論などが提唱され、ロジャー・ペンローズ、スティーブン・ホーキングらの有名人によって流布されてきたが、いずれにせよその多くは概念的なものであり、神秘主義的なものですらあった。
A.アインシュタイン、E.シュレーディンガーから始まり、K.R.ポパーに至る合理主義的精神にとってはSchrödingerの猫に代表される観測問題は、そもそもそういった問題が提示されること自体、量子力学の体系に内在する不完全さを明らかにしているように見えるのである。本書では神秘主義的観測解釈を断固として排し、同時に決定論的自然観も否定する。本書の立場は、ポパーに云うように、この世界は、たとえそれを実験にかけそれと干渉する『観測主体』が存在しなかったとしても、おそらく、今あるのと同じように非決定論的なままであったろう
というものである。
混沌からの秩序は英語版からの翻訳で、原著 LaNouvelle Alliance -Metamorphose de la science からの大幅な改訂版との事。ニュートン以来の物理学史が思想的に概観されており標準的テキストとしても好著だが、勿論その程度に止まらない迫力と、「標準」には回収され得ない逸脱がある。
これは非平衡統計力学 Nonequilibrium statistical mechanics (1962) 以来一貫したテーマの一通過点であり、最終的には La Fin des Certitudes (1996) を底本として大幅に改稿した英語版 The End of Certainty -Times, Chaos, and the New Laws of Nature by Ilya Prigogine In collaboration with Isabelle Stengers (1997) の邦訳確実性の終焉 (1997) に一応の決着を見る。最終的な目的が明確な本には迫力が有る。
19 Janu. 1998 ―> 29 June, 1998R.P.ファインマン著 江沢 洋 訳 ダイヤモンド社
異色のノーベル賞物理学者の手による一般向け啓蒙書。コーネル大学での一般向け講演、ノーベル賞受賞講演の邦訳。「御冗談でしょうファインマンさん (上・下) 岩波書店」等で彼に興味を持てたら本書も読める。彼の講義を基にした教科書「 ファインマン物理学 I - V 岩波書店」は数式のでてくるブルーバックスの気分で読める。下手な啓蒙書よりもこちらを勧める。
科学で想像してかまわないのはわれわれの既知の事すべてと矛盾しない事だけだ……見たこともきいたこともないような物を考える想像力を持たねばならない。それと同時に思考は、いわばきゅうくつな服を着たようなもので、自然のほんとうのあり方に関する知識をもとにした条件で制約されている……
……この物理の世界というものが、本当の現代文化の主要部分を構成しているのである。私はそう信じている。(おそらく、他の領域を専門としている教授方はこれに反対すると思うが、しかしその人たちは完全に間違っていると、私は信じている。)……おそらく諸君は、この文化に対するある程度の理解をうるということだけでなく、諸君が望みさえすれば、人間精神がこれまでやった事の無いような最大の冒険に参加する事さえ可能なのである。
朝永 振一郎 著 江沢 洋 編 岩波文庫
講演、雑誌収録など。玉石混淆の感あり。当時の空気を味わう縁とするもよし、量子力学の根本的なparadigmを学ぶもよし。収録されている「光子の裁判」はつとに有名。解説は学習院大学の江沢洋。付録に、「 ノーベル賞受賞講演 Development of Quantum Electro Dynamics -personal recollections 」の原文収録。因みに、quantum electro dynamics(量子電気力学)はquod erat demonstrandum(我々が証明しようとしていたのはこういうことであった;証明終了)に引っ掛けた駄洒落だと言う。ファイマンのやりそうな事だ。
……このごろまた例の時間の経つのが惜しまれ、その為にかえって無為に過ごすという病が起こっている。その他に、世の人々の誰を見ても、自分より優れていると思えて、とてもかなわないと感じる。ハイゼンベルグ、オイラー、湯川はもとよりのこと、そうではない、市井の只人を見ても、彼らの心にある、知足と、労働を愛する心が自分にはないように思われるのである。......
ジョン ホーガン 著 筒井 康隆 監修 竹内 薫 訳 徳間書店
インタヴューを基に構成されており簡単に読める。挑発的な題名に似付かわず、綿密なフィールドワークに裏打ちされた良書。現代scienceの手軽な鳥瞰が得られる。類書は唸るほどあるが、最新刊であることを差っぴいても出色。巻末の文献目録が充実している。偉大な謎物語の探求としての科学は終りつつあるのだろうか、われわれは終焉に差し掛かっているのか。それとも自然は永遠の謎物語として、我々の前に無限に広がっているものなのだろうか。 現代物理学の伝説的巨人総出演である。
M.カク J.トレイナー 著 久志本 克己 訳 広瀬 立成 監修 講談社 Blue Backs
題名のまま。現在第2次super strings theoryブームで其の為もあり最近改訂された。今なお建設中である素粒子物理学は古典的科学像に最も近いだろう。物理学の最前線への案内書。
安達 恒雄 著 光文社カッパサイエンス
これも類書は唸るほどあるゲーデルの不完全性定理の解説本。柄谷行人や浅田彰の前に本書の一読を勧める。不完全性定理に至る過程で解説される非ユークリッド幾何学はアインシュタインの相対論の良い導入となっている。
ほか、名著とされているもの、標準的とされているものを名前だけ挙げる。
日本ポパー哲学研究会に著作、邦訳の詳細なリストが有る。
W.ハイゼンベルグ 著 みすず書房
云わずと知れた行列力学の Werner Heisenberg (1901-1976)著作。他文献から引用されることが多い。
同書房より同著者による啓蒙書多数。一部絶版あり。
云わずと知れた波動力学の Erwin Schrödinger (1887-1961)著作。
量子力学、量子概念の発端を何処に置くかは人それぞれだろうが、おそらく正解は1900年前後に漸次的に浮上してきたものだという事だ。
空洞輻射という現象に関して、1879年 Kirchhoff、1879年 Stefan, Boltzmann、1896年 Wien、1900年 Reyleigh, Jeansらの研究により古典熱力学の破綻が明らかにされた。そして M. Planchは、電磁波を粒子の集団の様に扱い、エネルギーを離散化することでこれを説明した。ここで粒子的性質と波動的性質を兼ね備えたモノを量子と呼んだ。彼はこの光量子仮説でNobel賞を受賞する。ここに、量子力学的世界観の神髄であるPlanch定数が初めて世に現れたのである。しかし、彼はエネルギーは連続的であるという古典力学的信念を終生覆さなかった。
A.Einsteinは、そのPlanch予想を統計力学から数学的に導出し(1905)、更にこれを援用して、光電子の存在を予想した。これは光の粒子性の直接的な証拠であり、光の量子仮説の検証である。1913年、N. Bohrは水素原子模型を量子条件を課する事で説明し、1911-1924年の第一回Solvey会議を経た1924年、L. de BroglieはEinsteinの光電子に習い、物質波を予測しこれを検出。翌1925年、1926年に、HeisenbergとSchrödingerが相次いで量子力学の体系を発表した。
一つは Heisenberg の 行列力学。行列が前面に現れる代数的な形式で、Hamiltonの正準方程式を量子化したものだ。これは、Max Born (1882-1970)、Ernest Pascal Jordan (1902-1980)、Wolfgang Pauli (1900-1958)、P. A. M. Dirac (1902-1984) らによって形式化が進んだ。もう一つは Schrödinger の 波動力学である。微分方程式をで形式化された解析的なもので、古典解析力学のHamilton-Jacobi方程式に変分法を適応して量子化したものだ。
P.A.M.Diracの仕事によって、 行列力学 と 波動力学 は等価なものである事が示され、現在の量子力学が成立する。
量子力学の正統派解釈である、 Born の 確率解釈をCopenhagen解釈と呼ぶが、これは古典力学的決定論に反する。この確率解釈とHeisenbergの不確定性原理とに、 Schrödinger, Einsteinらは終生反対した。量子力学的重ねあわせの原理に抵抗してSchrödingerが喩えたSchrödingerの猫、確率解釈に抵抗してEinsteinが述べた神はサイコロを振らず
という言葉などは夙に有名だ。
さて、その後、量子力学には、第三の形式化が提唱されたが、これは、 量子電気力学 (Quantum Electro Dynamics, QED) の 繰り込み理論 を完成し朝永と共にNobel物理学賞を受賞したR.P.Feynman の 経路積分の方法である。これは、解析力学の最小作用の原理から出発する方法である。
A.パイス 著 西島 和彦 監訳 産業図書
Albert Einstein (1879-1955)の科学史的研究。伝記というレベルではない。名著にして大著。Einstein研究の標準テキスト。近代物理学史の網羅的記述が有る。
以上の中で、重要な日本人は、科学史に理解の有る物理屋として、物性理論の巨人、久保亮五、やはり物性理論の小出昭一郎、素粒子物理の江沢洋。また、物理学史を専門とする、あるいは専門とした事の有る人で、現代的な人物に絞ると、まず村上陽一郎、そして我孫子誠也、中山茂、科学史という観点からは少々場違いの観も有るが今後に期待を込めて野家啓一といった所だろうか。
以上挙げたものの他に、みすず書房、講談社学術文庫、吉岡書店、東京図書、産業図書、丸善株式会社、朝日選書(朝日新聞社)、講談社ブルーバックス、日本評論社、朝倉書店等が、理系と文系の境界領域にある本を扱っている。東京図書、産業図書、朝倉書店など、良質の洋書を翻訳している会社は有るが、惜しむらくはすぐに絶版になってしまう事だ。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||