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クワインの全体論(holism)

フランスの物理学者デュエム(Pierre Duhem, 1861-1916) は、物理理論の全体論 (holism) を主張した。これは、物理学理論は全体として有機体的統一を成しているのであり、理論の全体から或る特定の基礎的な仮説を独立に抜き出すようなことはできず、従って、これを独立な実験に一義的に結び付けて、実証したり反証したりはできないとする姿勢である。即ち、実験自体が、理論の枠組み全体の中で企画、設計、解釈されるものであるから、一見特定の命題に対する反証のよう見えても、その実、指摘していることは、この実験に当り採用した理論枠組みのどこかに誤謬があることを示せただけでり、特定の命題そのものについてであると主張することはできないと云うことである。

これは、反証的実験と決定的実験の両方が原理的に起こり得ないと云う事を帰結し、ポワンカレ、マッハらの、帰納主義、現象論的還元主義、規約主義、道具主義的経験論など、当時支配的であった経験論的還元主義に対する厳しい批判であった。その後、ウィーン学団の論理実証主義の台頭により、その主張は隠されたが、クワイン、ハンソンらに継承され、新科学哲学の基礎として脚光を浴びることとなった。

クワイン(Willard van Orman Quine,1908〜 ) は、デュエムの全体論 (holism) を擁護し、後に新科学哲学と呼ばれる科学哲学の礎を築いた。特に、当時支配的であった論理実証主義を代表するカルナップの、理論を理論言語と観察言語に分けて、観察言語に対する実証主義を主張する道具主義的蓋然性検証理論に対して、「理論を経験的部分と理論的部分に分けて、或る言明を他の言明から独立させて、対応するとされる経験の反証や確証に付すことはできない」と主張した。そして、これを物理理論以外のあらゆる体系的知識全体に拡張して、知識の全体論 (holism of knowledge) を主張した。

何れにせよ、全体論は、仮説の正否を決める「決定実験(crucial experiment)」なるものがそもそも成り立たないことを意味している。デュエムによって最初に指摘されたこの「決定実験の不可能性」という主張は、今日では「デュエム−クワイン・テーゼ(Duhem-Quine thesis)」の名で、新科学哲学の基本的前提となっている。

知識の有機体的統一と云う観点は、「もの」から「こと」への転換を意味し、ソシュール言語学に端を発する構造主義の萌芽と見ることができる。


ハンソンの観察の理論負荷性(theory-landnness)

ハンソン(Norwood Russel Hanson,1924〜1967) は、デュエムの見解を採用し、観察の理論負荷性を提唱している。これは、科学的な観察は理論を背景として解釈されて初めて意味を持つと云うことであり、ハンソンに於いては、異なる理論の下での観察を、実験心理学の認知心理学で用いられる、ゲシュタルト・チェンジと同一視することで主張された。与えられた「感覚与件」(sense data)は同一であっても、何を見ているかは観察者によって異なるのである。

すると、或る理論の基礎的な仮定の一つを、それとは独立な経験的事実によって真偽の判定を下すことはできず、反証実験と云う概念自体が不可能であると云うことになり、既存の理論を打ち倒すのは反証となる実験事実そのものによってではなく、これらの蓄積された異常な実験事実群を解釈する新たな理論によると云うことになる。 Kuhn はこの点で、反証となるべき異常な実験事実の蓄積が科学革命を準備する有様を記述している。


クーンの科学革命論

参考リンク:The Structure of Scientific Revolutions, The University of Chicago Press, 3rd ed.

クーン(Thomas Samuel Kuhn,1922〜96) は、ハンソンの理論負荷性と云うテーゼをさらに押し進めて、理論の変換をパラダイム変換と云う革命的な現象であると考た。

パラダイムとは、過去の一定期間の間、研究者の集団に対して、モデルとなる問題と解答を与える、一般に認められた業績のこととされている。

Paradigms are universally recognizsed scientific achievements that for a time provide model problems and solutions to a community of practitioners.

クーンは、科学理論を特徴付けるのは、抽象的に整理された厳密な定義なのではなくて、具体的な業績の集合であると考えている。そして、このパラダイムに従う研究を通常科学 (normal science) と呼び、科学者は、パラダイムの精密化、拡張化のために、与えられた問題を解くことに従事していると記述した。この蓄積的な研究活動の過程で、既存のパラダイムに反するような変則的事例が蓄積していき、パラダイムが危うくなり、新たな理論が浮上し、既存のパラダイムに置き換われば、これが科学革命 (scientific revolutions) であると説く。科学革命は、既存のパラダイムが、一部、若しくは全てが両立しない新たなものに置き換えられる、非蓄積的な発展である。

Scientific revolutions are those non-cumurative developmental episodes in which an older paradigm is replaced in whole or in part by an incompartible new one.

そして、革命前後の理論のパラダイム間では、基礎的な仮説、正当な研究とは如何なるものであるかなどの根本的な土台が異なるので、相互に比較することが不能であり、共通の用語、定理、実験事実に付いても、直接的に比較することができないと考えた。この概念が、共約不可能性 (incommensurabirity) である。

この結果、異なる科学理論の間に優劣をつける独立な客観的視座を置くことができず、科学の歴史を、より包括的で優れた理論が古いものに取って代わる勝利者史観(ホイッグ史観)では捉えられないとする、科学的相対主義への道につながることになる。


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SUGAI, Manabu.
21st/Mar./2000
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